田舎に仕事の拠点を動かしてから今までの仕事環境の変化

先日下記のブログで、仕事もここまでつづけられてきたことは上出来と書きましたが、

それには色んな環境の変化に合わせてこれたことにもよりました。

 


東京でキャリアを積んでいた私が田舎に住むようになったきっかけ - 田舎に住むパタンナーの日記

 

Uターンしてきた時は1991年で、世の中に今のようにパソコンが一般的じゃない時代でした。

携帯電話も大型のもので、電話も子機があったかな?と言うような時代です。

私はパタンナーなので、極論から言うと鉛筆と定規と紙とカッターがあれば仕事になりました。(もろもろ、必要な仕事道具はもっとありますが)

田舎ではこの仕事での就職先は無かったので、個人的に東京から仕事を受注すると言う形で仕事を始めましたが、FAXで届いた資料を元に電話で打ち合わせをして、出来上がった型紙を発送する、そんな毎日でした

東京と福井の距離550Kmを感じる事は、顔を合わせて会話が出来ないことと、当日納品が無理な事くらいでした。さすがに東京に出張に行くときには遠いな~とは思いましたが・・・・

 

その一昔前から考えれば、FAXがあり、宅配便が普及していたことはラッキーだったんでしょうね。

 

私が高校を卒業して東京の専門学校に行った頃は、都会の情報と言うものがあまり入ってきてなかった気がするんですが、その頃はどこにいても同じ情報をマスメディアを通して共有できると言う状況ではあったので、小型の携帯電話が出たとかパソコンとインターネットがこれからの時代普及するとかそんな事は耳に入ってました。

 

Uターンしてすぐの頃、地元の商業高校内で社会人のための講座が開かれていて、その中に「初心者のためのパソコン講座」と言うのがあり、絶対にこれからは必要だと思った私はすぐに申し込んで通ったのですが、その時のメインパソコンはNEC98でロータス123と一太郎を習いました。

でも、一般の人間が手にするにはとても高額なものだったので、その時は習っただけで終わったのですが、そう言うものに触れる事は嫌いじゃないなと思えただけでも収穫でした。

 

その後、Windowsが発売され、徐々に一般にも普及されるようになり、それでもまだ高価でしたが、今使わないときっと乗り遅れると思って使い始めたのが1998年。

初心者のくせに偉そうにメーカーパソコンじゃなく、組み立てて貰って買ったので、アプリ一つ入ってないPCがいかに無力なものかを知り、そこから色んな人に助けてもらって、徐々に覚えていきました。

その時から、人との連絡にメールと言う手段が一つ増えました。

 

コンピューターの普及とともに、私たちの業界にもパソコンを使う人が増えていきますが、機械化とともにデータを使ったのは工場の方が先だと思います。

工場が大量生産するために生地を大量に裁断しますが、その時に機械でつかうシステムにCAMがあり、それに送るデータをCADで作るようになっていきました。

 

アパレルCADは存在こそ知ってましたが、とてもとても個人では手が出るようなものじゃなく、他人ごとのように思っていたのですが、これも時代の流れと共にパーソナル化していき、ちょっと手が届きそうになった時に、営業&デモンストレーションを受けてしまいました。見てしまうと欲しくなるもの、PCを買うと同時に、借金をして買ってしまったものの、パソコンですら初心者の私にとって、CADを使いこなすまで時間がかかり、間違いも多くイライラすることも多かったのですが、使い始めるには本当に良い時期でした。

 

それからのパソコンの進歩はすさまじく、多くの人がパソコンを使うようになり、携帯電話ですらメールを使うようになり、データで仕事のやり取りが当たり前になった今、早くからCAD使い始めていた私は時代に残されることなく仕事を続けることが出来ました。

そこが今でも仕事を続けていられかどうかの分岐点だったと思います。

 

あの時もしCADを導入していなければ、今東京から受けるパターンの仕事はなかったと思います。きっと、田舎に住む使えない技術者になってたんでしょうね。

あの時、私にパソコンを色々教えてくださった方々、借金をしてでもCADを買っても良いと許可してくれたパートナー、そして私のパソコン環境の相談に乗ってくれるまで成長した息子、みなさんには本当に感謝です。

 

これからも環境はきっとますます変化するんでしょうね。でも、出来る限り時代に取り残されないように、頑張って新しいものを拒否しないで使っていきたいと思います。