靴下の歴史Ⅱ
昨日のブログの続きです。
編み靴下の普及
1589年にイギリスの牧師「ウィリアム・リー」により靴下のメリヤス編機が発明され、ヨーロッパ大陸に編み靴下が広がり、17世紀にはウール、木綿のストッキングが大量生産されて一般化しました。
元来、靴下は男性の物で、女性は長いスカートを履くため、靴下を見せる流行がありませんでした。
靴下の女性への普及
17~18世紀にダンサーの狂乱的な動きでスカートの内部が見える事で、特異な黒い靴下が流行したことがありましたが、本格的に女性の生活に取り入れられたのは19世紀末頃です。
第一次世界大戦後、女性の日常服が活動的になり、短いスカートが流行すると、それまで黒い靴下が主だったものが、ブロンド色に変わり、履かれるようになりました。
日本において
第一次世界大戦のころ、日本でも靴下が一般化し、ウールや木綿製で黒白がほとんどでしたが、赤や青いものもあったようです。
第二次世界大戦後にナイロン製のストッキングが出現し、その丈夫さ、弾力性、美しさの上で、飛躍的な発展を遂げました。
最初は足にぴったりさせて足を細く見せるために後ろにシームのあるストッキングが流行していましたが、丸編み式のシームレスが登場すると、素肌のように見える事から急激に流行しました。
その後、1968年にパンティーストッキングが登場して、これにより、靴下止めもいらず、保温性もあり、とても注目されました。
それからは、流行に伴い、色々な形が出来、最初はスカートの中に隠れていた存在だったものが、今では装いには欠かせないものになりました。