一生忘れる事が出来ない3.11Mybirthday

その日はお祝いの予定でした

50才過ぎて、お誕生日のお祝いと言うのもなんですが、せめて食事作り位免除させて貰おうと、夕飯は家族で外に食べに行く予定でした。

しかし、午後から流れるニュースに驚き、仕事をしながらでも、Twitterから流れるツイートやFacebookのタイムラインを見るだけで、その悲惨な状況をまざまざと見せつけられるばかりでした。

700km以上離れたこんなに遠い場所でも、余震の揺れが続き、とっても外食に出る気にもならず、家にある残り物で食事を済ますと言う一日になりました。

 

必ず被災地を訪れたいと言う思い

仕事をしているので、ボランティアに行くと言う訳に行かず、当初は色んな所に募金をする事しかできませんでした。

ただ、被災地には行きたいと言う気持ちは強く、翌年2012年の夏に行くことが出来ました。ボランティアは出来なかったけど、観光することでその地にお金を落としたい、そんな気持ちで、仙台まで公共交通機関を使って、そこからはレンタカーで細かく回りました。

一日目に止まった南三陸ホテルでは、


南三陸ホテル観洋 - 公式

語り部バスを続けていて、朝一番でバスで被災地を回りながら、被災経験したホテルの従業員が自分の体験と被災地の状況を語ってくれます。私が乗ったバスの語り部の方は若い方だったのですが、家が津波で無くなり、小さいお子さんと奥さんを探し回った経験を話してくださいました。

ホテルの従業員と言う使命上、一番に避難させることを考えないといけないのはお客さんで、家族は次の日にしか探しに行けなかった事など、本当に胸に刺さりました。

ホテルは高台にあり被害を免れたのですが、そのふもとの町は津波ですべて流され、すぐ近くにはあの有名な南三陸町防災対策庁舎がありました。

こんな被害が大きかったところに住んでいた家族が、今生きてるのか?どこに避難しているのか?それを考えて走り回った一日はどんなに辛かっただろうかと思うと、皆が無事に再会できたと言う話で締めくくられていても涙なくして聞けませんでした。

 

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この庁舎は保存か解体かでかなり議論が分かれてましたが、現在もまだ残されてるそうです。

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この旅行は被災地にお金を落とすことがメインの目的でしたので

復興していた塩釜の漁港で美味しい海鮮丼を食べ、

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女川町の蒲鉾本舗でたくさんのお土産を買って


宮城県女川町のかまぼこ屋【蒲鉾本舗 高政】

 

帰ってきました

 

テレビで見る現状

今日で丸4年が経ちました。朝からテレビでは、現在の状況を沢山報道していますが、あまりに復興が進んでいない事に心を痛めます。

日本人の記憶の中から少しづつ消えてきている東日本大震災

せめて3.11当日は思い出してほしいと思います。

私は一生忘れない日として、自分の誕生日3.11を迎え続けます。